日本の神様にはランクがあった 日本の神様たち
日本の神様
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
古事記では天照大御神ですが、日本書紀では「天照大神」と表記されます。
伊邪那伎(いざなき)と伊邪那美(いざなみ)の子。女神であり、太陽の象徴といわれています。
日本神話では神々が住んでいるとされる天上の国「高天原(たかまがはら)」の最高責任者であり、日本国民の総氏神です。
「氏神(うじがみ)」とは地域の守り神でのことですが、「総氏神(そううじがみ)」は日本全体・日本人全体の守り神です。
また、皇室の祖先神(そせんしん・先祖の霊を神として祀ること)と考えられており、天皇家をたどると天照大御神に辿り着きます。
日本最高位の神社である、伊勢神宮の内宮に祀られています。
天照大御神といえば、古事記や日本書紀に記されている天岩戸(あまのいわと)の伝説が有名です。
天岩戸伝説は以下のようなエピソードです。天照大御神には、須佐之男命(すさのおのみこと)という弟がいますが、須佐之男命は暴れん坊で、あまりにひどいいたずらをするので、それを嘆いた天照大御神は天岩戸(あまのいわと)という洞窟に隠れてしまいます。
太陽の象徴とされる天照大御神が天岩戸に隠れたことで、世界は真っ暗になり、植物が育たなくなったり、病気が流行ったりと大変なことになってしまいました。
困ったほかの神様たちは相談をし、天岩戸の前でお祭り騒ぎをして天照大御神を誘い出すことにしました。
「真っ暗になって困っているはずなのに、なぜ楽しそうにしているのだろう?」と不思議に思った天照大御神が天岩戸から出てきたことで、世界に光が戻ったといわれています。
日本武尊(やまとたけるのみこと)
日本書紀では「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、古事記では「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記します。
第12代景行天皇(けいこうてんのう)の子として誕生し、東国(現在の関東地方・東海地方)征討や熊襲(現在の九州南部にあった国)征討で活躍したことから神として崇められるようになりました。日本武尊といえば「草薙剣(くさなぎのつるぎ・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ))」です。
東国征伐の際、日本武尊は騙されて草原に来てしまい、敵が火を放ちました。
火に囲まれてしまった日本武尊は、倭姫命(やまとひめのみこと)から賜った天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)で草をなぎ払って難を逃れました。そのことから、天叢雲剣は「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」と呼ばれるようになりました。
草薙剣は三種の神器のひとつで、ご神体として熱田神宮に祀られており、皇居吹上新御所の剣璽の間に形代(レプリカ)が奉安されています。
伊邪那伎(いざなき・いざなぎ)
古事記では「伊邪那岐神」、日本書紀では「伊弉諾神」などと表記されます。
伊邪那美(いざなみ)の兄であり夫です。
伊邪那伎と伊邪那美の夫婦は、日本の国土を産み、多くの神々を産んだといわれており、天照大御神や須佐之男命(すさのおのみこと)もこの夫婦の子です。
高天原では、八百万の神が地上に新しい国を造ろうと相談をし、伊邪那伎と伊邪那美に国造りを命じて「天の沼矛(あめのぬぼこ)」という矛(ほこ)を授けました。
伊邪那伎と伊邪那美が海水に矛を突き刺し、かき混ぜ、しばらくして矛を引き上げると、矛の先から滴り落ちた潮が積み重なってオノゴロ島を作りました。
オノゴロ島に降りた伊邪那伎と伊邪那美は夫婦となり、淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州を次々に生み、日本の国土が誕生しました。
国土を産み終えてから、伊邪那伎と伊邪那美の夫婦は石の神、風の神、土の神など、数多くの神を産みます。
伊邪那美(いざなみ)
古事記では「伊邪那美神」、日本書紀では「伊弉冉神」などと表記されます。
伊邪那伎(いざなき)の妹であり、妻です。伊邪那伎と伊邪那美の夫婦は、日本の国土と数多くの神を産みますが、火の神を産んだときの傷がもとで伊邪那美は亡くなり、黄泉の国(よみのくに・死後の世界)へ行ってしまいます。
伊邪那伎はそのことを悲しみ、黄泉の国へ伊邪那美を迎えに行きます。
伊邪那美は「私はもう黄泉の国の住民になってしまいました。しかしあなたと一緒に元の世界へ戻りたいので、黄泉の国の神々に相談している間、こちらを見てはいけません」と言いますが、待ちきれなくなった伊邪那伎はこっそり伊邪那美の姿を見てしまいます。伊邪那美は亡くなったあと醜い姿になってしまっており、それを見た伊邪那伎は元の世界に逃げ帰ってしまいました。
その後、伊邪那美は伊邪那伎と絶縁し、黄泉の国を支配する黄泉津大神(よおつおおかみ)になりました。
須佐之男命(すさのおのみこと)
古事記では「建速須佐之男命」、日本書紀では「素戔嗚尊」などと表記します。
須佐之男命は、日本書紀では伊邪那伎と伊邪那美の子で、古事記では伊邪那伎から生まれたといわれ、天照大御神の弟です。須佐之男命は、母親(伊邪那美)に会いたいと泣き叫んだり、姉(天照大御神)にいたずらをしたりと、八百万の神の中では人間らしい神様といわれており、多くの神社で祀られています。
古事記では、須佐之男命の母親である伊邪那美は亡くなったあとに、黄泉の国(よみのくに・死後の世界)へ行ってしまい、悲しんだ父親の伊邪那伎は、伊邪那美を黄泉の国へ迎えに行きますが、醜い姿になってしまったのを見て逃げ帰ってきます。
そして伊邪那伎が黄泉の国の穢れ(けがれ)を体から落とそうとして鼻を洗ったときに誕生したのが須佐之男命です。
このとき左目を洗ったときに天照大御神、右目を洗ったときに月読命(つくよみ)が誕生しました。
須佐之男命は父である伊邪那伎から「海原を治めるように」と命令されますが、母である伊邪那美に会いたいと泣き叫んで命令を拒みます。
須佐之男命は父である伊邪那伎から生まれたのですが、伊邪那美を母と思っており、あまりにも荒々しく泣き叫んだので、地上の川も海も枯れてしまい、地上の世界に災いを招き、伊邪那伎から地上を追放されてしまいました。
追放された須佐之男命は姉の天照大御神が治めている高天原へ行きます。
しかし、高天原に滞在することを許されて有頂天になり、いたずらや大暴れをして天照大御神を怒らせ高天原を追放されてしまいました。
その後、須佐之男命は出雲の国(現在の島根県)に降り立ちました。
そこで、泣いている親子と出会います。
須佐之男命が泣いている理由を両親に尋ねると「ヤマタノオロチがやってきて、毎年娘をひとりずつ食べてしまった。今年もまたヤマタノオロチがやってくる時期になり、最後の娘が食べられると思うと涙が止まらない」と答えました。
ヤマタノオロチは8つの頭、8つの尾、赤い目を持ち、体には杉の木やヒノキが生えている伝説上の生物で、8つの谷と8つの山を覆うことができるほど大きいとされています。須佐之男命は、両親に「娘を嫁にくれるなら、ヤマタノオロチを倒してやろう」と約束し、強い酒をヤマタノオロチに飲ませ、酔って眠っているヤマタノオロチを退治しました。
その時、ヤマタノオロチの尾を切った時に出てきたのが、三種の神器のひとつである「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・草薙剣)」です。のちに天叢雲剣は天照大御神に献上されました。その後、須佐之男命は娘と結婚し多くの子を産みました。
大国主神(おおくにぬしのかみ)
「大国主命(おおくにぬしのみこと)」とも呼ばれます。須佐之男命の子、または6世の孫という説があります。出雲大社に祀られており、縁結びの神様として有名です。※6世の孫とは自分→子→孫→曾孫(ひまご)→玄孫(やしゃご)→来孫(らいそん)→昆孫(こんそん)となり、「昆孫」にあたります。
大国主神といえば「因幡の白兎」の伝説で有名です。
「淤岐嶋(おきのしま・現在の島根県隠岐の島)」にいたウサギが、海の向こうにある因幡国(いなばのくに・現在の島根県東部)」へ行くために、海のサメに「ウサギとサメはどっちが多いのか、サメの数を数えてあげるから、一列に並んでごらん」と声をかけ、サメの上を飛びながら数を数えて海を渡っていきました。
ところが、陸地まであと少しというところでウサギはついつい「因幡国に行くことが目的で、サメを足場にさせてもらったよ」と言ってしまったのです。騙されて、怒ったサメたちは、ウサギの全身の皮を剥がしてしまいました。
ウサギが痛くて泣いていたところへ「八十神(やそがみ)」たちが通りかかりました。八十神(やそがみ)とは大国主神の異母兄たちのことで、末っ子の大国主神に荷物を持たせ家来のように引き連れて、八上比売(やがみひめ)という神に求婚するために旅をしている途中でした。
八十神たちはいじわるで、泣いているウサギに「海水で体を洗い、風通しの良いところで寝転がっていれば良くなる」と言い、ウサギが言われたとおりにしたところ、傷はますます酷くなってしまいます。
少し遅れて大国主神がやってきて、痛くて泣いているウサギに「真水で体を洗い、ガマ(多年草の水生植物)の花粉の上に寝ころべば良くなる」と言ったので、言われたとおりにしたところウサギは元の体に戻ることができたのでした。
助けられたウサギは大国主神に「八十神たちは八上比売と結婚することはできません。八上比売と結婚するのはあなたです」と大国主命に予言をし、その後八上比売は八十神たちの求婚を断り、大国主神と結婚をしました。
天宇受売(あまのうずめ・あめのうずめ)
他に「天細女命(あまのうずめのみこと)」「宮比神(みやびのかみ)」などと呼ばれます。芸能の神として有名で、日本最古の踊子といわれており、猿田彦命(さるたひこのみこと)と結婚して「猿女君(さるめのきみ)」と名前を変えます。
天照大御神が天岩戸に隠れてしまい、世界が真っ暗になったときに困った神様たちはなんとかして出てきてもらおうと、天岩戸の前でお祭り騒ぎを始めました。
騒ぎが気になった天照大御神は天岩戸から出てきて、無事に世界に光が戻りました。
この時、天照大御神を誘い出すために踊った踊子が、天宇受売です。天宇受売は芸能の神様として多くの神社で祀られています。
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)
「神阿多都比売」「神吾田鹿葦津姫」「木花開耶姫」「木花之佐久夜毘売」などと表記され、読み方は「このはなさくやひめ」または「このはなさくやびめ」
木花咲耶姫は木花(桜の花のこと)が咲いたように美しい女性という意味があります。父の大山津見神(おおやまづみのかみ)が山の神であり酒造(しゅぞう)の神でもあることから、木花咲耶姫も山の神、酒造の神として祀られています。また、産屋に火を放って出産したことで火の神としても祀られていますが、それは次のエピソードから来ています。
木花咲耶姫は天照大御神の孫である「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」と結婚し、一夜で身ごもります。たった一夜で身ごもった木花咲耶姫のことを信じられず、瓊瓊杵尊は他の男の子供ではないかと疑ってしまいます。木花咲耶姫は疑いを晴らすために、「産屋に火を放って、そこで出産をします。神であるあなたの子であれば、無事に出産できるはずです」と言い、燃え盛る炎の中で三人の男児を無事に出産しました。
この時生まれた三男が、後に初代天皇になる神武天皇といわれています。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
他に、「邇邇芸命(ににぎのみこと)」「天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)」「天杵瀨命(あめのきせのみこと)」などと表記されます。
天照大御神の孫なので「天孫(てんそん)」とも呼ばれ、木花咲耶姫の夫です。瓊瓊杵尊が高天原から現在の宮崎県高千穂へ降りたことを「天孫降臨(てんそんこうりん)」といいます。
天孫降臨の際、天照大御神は「八咫の鏡(やたかのかがみ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・草薙剣)」を瓊瓊杵尊に授けました。これらを「三種の神器」といい、歴代天皇によって受け継がれています。
瓊瓊杵尊が木花咲耶姫に求婚した時、木花咲耶姫の父である大山津見神は、「石長比売(いわながひめ・木花咲耶姫の姉)」も一緒に差し出します。
瓊瓊杵尊は美しい木花咲耶姫だけを嫁にし、美しくない石長比売を送り返してしまいました。大山津見神は怒り、「娘二人を差し上げたのは、石長比売を妻にすれば子孫の命は岩のように永遠のものとなり、木花咲耶姫を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するからだったのに、木花咲耶姫とだけ結婚したのだから子孫の命は木の花のように短くなるだろう」と瓊瓊杵尊に告げました。そのため、神である瓊瓊杵尊の子孫からは永遠の命は失われてしまい、天皇家もほかの神々のように長い寿命ではないのだといわれています。
猿田彦命(さるたひこのみこと)
他に「猿田毘古神(さるたひこのかみ)」 「猿田彦神(さるたひこのかみ)」などと表記されます。
体が大きく、鼻が長く、目が輝いており、天狗の原型といわれています。また日本書紀には「天地を照らす神」という記述があることから、天照大御神よりも以前に信仰されていた太陽神や土着の神ではないかと考えられています。
「天孫降臨(てんそんこうりん)」の際、瓊瓊杵尊が高天原から高千穂に降りるときに、天と地の間にある分かれ道で待っている者がいました。
天照大御神は天宇受売に「あの者が誰なのか尋ねてきなさい」と命じ、天宇受売がその者に尋ねたところ「私は猿田彦命です。瓊瓊杵尊がいらっしゃると知り、道案内をするために待っていました」と答えました。
このことが縁で、天宇受売は猿田彦命と結婚し、天宇受売は「猿女君(さるめのきみ)」と名前を変えます。瓊瓊杵尊を無事に道案内したあとは、夫婦で猿田彦命の故郷である伊勢に戻りました。
このことから、猿田彦命は「道の神様」や「交通安全の神」として多くの神社で祀られており、猿田彦命と猿女君は「夫婦和合の神」や「縁結びの神」としても有名です。
有名な神様を10柱(神様の数え方は「はしら」です)ご紹介しましたが、みなさんが知っている神様はいらっしゃいましたか?
今回紹介した10柱は八百万の神の中でも特に有名で人気のある神様ですが、神様の名前は知らなかったけれど、エピソードはなんとなく知っていたよ!という人もいらっしゃるかもしれません。
古事記や日本書紀はそのままだと難しいのですが、現代語に訳したものや、わかりやすく漫画にしたものなどもありますので、日本の神様がどのような方々なのか知りたい方はぜひお調べになって下さい。
日本には八百万の神々がいらっしゃいます。
八百万とは非常にたくさん・無限のという意味があり、日本には数えきれないほど多くの神様がいらっしゃるということです。
日本人は、トイレの神様とか、台所の神様、火の神様、水の神様など、身近なところにも神様を感じるようです。では、日本の最高位の神様、一番偉い神様は誰なのでしょうか。そもそも神様にランクがあるのでしょうか。日本の最高位の神様について調べてみました。
日本の最高位の神様
天照大御神
読み方は「あまてらすおおみかみ」で、日本の最高位の神様、一番偉い神様とされています。伊邪那伎(いざなき)と伊邪那美(いざなみ)の子。
神々が住んでいるとされる天上の国「高天原(たかまがはら)」の最高責任者であり、日本国民の総氏神(そううじがみ・日本全体、日本人全体の守り神)です。
日本最高位の神社である、伊勢神宮の内宮に祀られています。
高天原の八百万の神々が相談して、地上に新たな国を造ることを伊邪那伎と伊邪那美に命じ、日本の国土を産んだあとに多くの神々を産んだといわれています。天照大御神は「古事記」では伊邪那伎と伊邪那美が夫婦となって生まれた子とされていますが、「日本書紀」では男神である伊邪那伎から生まれた子とされています。
伊邪那伎の妻である伊邪那美は、火の神を生んだ時の傷がもとで亡くなってしまい、黄泉の国(よみのくに・死後の世界)へ行ってしまいます。
夫である伊邪那伎は、伊邪那美を黄泉の国へ迎えに行きますが、すでに黄泉の国の住民となり恐ろしい姿になった伊邪那美に追いかけられ逃げ帰ってきます。
黄泉の国から戻った伊邪那伎が、黄泉の国の穢れ(けがれ)を体から落とそうと、左目を洗ったときに誕生したのが天照大御神です。
天照大御神は女神で、太陽を象徴する神様として有名です。また、皇室の祖先神(そせんしん・先祖の霊を神として祀ること)と考えられており、天皇家をたどると天照大御神に辿り着くといわれています。
このように人々が生きていくのに欠かせない太陽を象徴する神様であることや、皇室の祖先神ということから、日本の最高位の神様、一番偉い神様だといわれているのです。
天御中主神
読み方は「あめのみなかぬしのかみ」です。
日本の最高位の神様、一番偉い神様は天照大御神ではなく天御中主神ともいわれています。天御中主神は、古事記で最初に登場する神様で、男女の区別がなく女神と男神の両方の性質を持つ「独神(ひとりがみ)」です。
「天=宇宙」「御中=中心」「主=支配する」という意味があり、「宇宙の中心」や「宇宙そのもの」と考えられ、仏教では「大日如来」、イスラム教では「アッラー」、ユダヤ教では「ヤハウェ」と同じ存在です。
古事記では、何も無かったところに天と地が生まれ、高天原に天御中主神が現れたかと思うと、すぐに姿を隠されてしまったと書かれています。
最初の神様であり、宇宙そのもの、創造主のような一面があるため「安産の神」として祀っている神社が各地にあります。
天御中主神は、古事記の最初の部分に一度だけしか登場せず、記述が少なく謎の多い神様で、姿を隠されたあとは、私たちの目には見えない場所から宇宙を支配しているという解釈があるようですが、実際にはどのような神様なのか不明なままです。
そのため、名前を見聞きする機会も少なく、名前すら知らない人が多いようです。
日本の最高位の神様、一番偉い神様は
日本の各地にある神社を包括する宗教法人「神社本庁」では、天照大御神を最高位の神様としていますので、一般的には、最高位の神様、一番偉い神様は天照大御神ということですが、「最初の神様」「宇宙を支配する神様」ということで天御中主神が最高位の神様、一番偉い神様という意見もあるようです。
「天御中主神は姿を現してすぐにいなくなったから、なにも生み出さず、なにもしていない」という解釈もあり、謎や不明な点が多い神様です。人によって解釈が異なる「天御中主神」を一番偉いとするのは、少々難しいのかもしれません。
「天照大御神が最高位、一番偉い神様だ」というのは、「太陽を象徴とする神様」「皇室の祖先神」という分かりやすい理由があるので、誰もが納得できるのではないでしょうか。