日本のイベント・行事・記念日・風物詩 1月
1月のイベント・行事・記念日・風物詩
初日の出(元旦)
年の最初の日の出のことを初日の出といいます。
初日の出を拝むことで、年神様へその年の豊作や幸せを願います。
初日の出を見る意味 初日の出とご来光の違い
その年の最初の日の出を「初日の出」といいます。
初日の出を拝むために、眠い目をこすりながら遠出をしたり、早起きをしたり、経験のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
天気の関係が大きいので毎年必ず拝めるものでもないので綺麗な日の出が拝めた年始めは感無量です。
では、初日の出を見る意味とは何なのでしょう?
似たような言葉で、ご来光という言葉もありますが、初日の出との違いは?
今回は、初日の出について調べてみました。
初日の出を拝む意味とは
日本では古来より、初日の出と共に年神様(毎年お正月に各家にやってくる豊作や幸せをも
たらす神様)が現れるとされ、おめでたいと考えられていました。
初日の出を拝むことは年神様へその年の豊作や幸せを祈る意味があります。
元旦に天皇陛下が、天地、四方および山稜を拝礼する「四方拝」にならい、庶民の間でも初日の出を拝むことが習慣になり浸透していったと考えられています。
※四方拝とは?
元日の午前5時半に、皇居の宮中三殿(「賢所・かしこどころ」「皇霊殿・こうれいでん」「神殿・しんでん」の総称)の西側にある神嘉殿(しんかでん)の南側の庭に設けられた建物の中に入り、天地、四方および山稜を拝礼し、国家・国民の安寧と五穀豊穣を祈るものです。
ご来光
高い山、山頂などから見える日の出のことを「ご来光」といいます。
有名なところでは富士山のご来光がありますが、これは山が高ければ高いほど早くご来光を拝むことができ、御利益があると考えられているからです。
もちろん、富士山以外の山から見る日の出も「ご来光」です。
また、ご来光は山岳信仰からきているともいわれています。
山岳信仰とは、自然崇拝の一種で、自然に対して抱く畏敬の念や、恐れ敬う感情などから発展した宗教形態とされ、山岳地に霊的な力があると信じられています。
そのため、山から見える日の出のことを「ご来光」と呼んで神聖なものとしたといわれています。
初日の出とご来光は違う
初日の出は、元日の日の出のことを言いますが、ご来光は元日以外の日にも使います。
また、初日の出はどのような場所から見ても、元日の日の出であれば「初日の出」ですが、ご来光は場所が「高い山や山頂」と限られています。
初日の出とご来光がごっちゃになって「元日に砂浜でご来光を拝んだ」という使い方をする人もいますが、間違いということになりますね。
ご来光と初日の出は同じもの・・・と思っていた方も多いかもしれませが、ご来光は一年中拝むことができるんですね。
ご来光を拝める高い山や山頂へ行き、初日の出を拝むことができたら、とても縁起が良い事のように感じますね。
大晦日から登山をして、山頂で初日の出を拝む人が毎年大勢いらっしゃるのには、こういう理由かのもしれませんね。
初夢(新年最初に眠ったときの夢)
初夢とはいつみた夢なのか諸説あるようですが、一般的には「新年最初に眠った日の夜に見た夢」です。「一富士、二鷹、三茄子」がとても有名ですが、これには続きがあります。
初夢とはいつ見た夢のことなのか? 「大晦日の夜から元日の朝かけて見る夢」「正月元日の夜に見る夢」「正月2日の夜に見る夢」と諸説あるようですが、一般的には、新しい年を迎え、最初に眠った日の夜に見た夢を言うそうです。 ですから普通は元日の夜から2日にかけて見た夢のことになります。『初夢』に出てくると縁起が良いものと言えば、「一富士(いちふじ)、二鷹(にたか)、三茄子(さんなすび)」がよく知られていますがこの初夢の縁起物には、続きがあることをご存知でしたか?中にはユニークな物もありますのでご紹介します。
初夢は六番目まである!
「一富士二鷹三茄子」
なぜこの3つなのかというと、それには諸説あります。
「徳川家康が、富士山・鷹狩り・初物のなすを好んだことから」という説や、「富士は『無事』、鷹は『高い』、茄子は事を『成す』という縁起の良い言葉に引っ掛けているから」とも言われています。
そして、これには続きがあって、「四扇(しおうぎ)」「五煙草(ごたばこ)」「六座頭(ろくざとう)」とつながります。
「扇」は、扇(あお)ぐために使われるだけでなく、お祭りや舞踊のときに使用する小道具であり、「煙草」も、祭りやお祝い事など、人が集まる席になくてはならないものでしたので、縁起ものとされています。
「六座頭」の座頭という言葉は、聞き慣れない方も多いかと思いますが、髪の毛を剃った盲人のことを言います。
小泉八雲の怪談話に登場する「琵琶法師」を思い浮かべて髪の「毛がない」ことから、「怪我ない」を表すとされ、家内安全を願うものとされました。
「一富士」「二鷹」「三茄子」と「四扇」「五煙草」「六座頭」は同じ意味?
また、別の説では「一富士」「二鷹」「三茄子」と「四扇」「五煙草」「六座頭」が対応していると言われています。
「一富士」と「四扇」は、どちらも末に広がっているため、子孫や商売の繁栄を表しており、「二鷹」と「五煙草」は、上にあがっていくことから運気上昇を表し、「三茄子」と「六座頭」は、どちらも毛がないことから、「怪我ない」という縁起が良い意味とされています。
「四」を葬式・葬礼 「五」を雪隠や火事とする説も
初夢には、「四扇」「五煙草」「六座頭」のほかにも、「四」を「葬式」や「葬礼」、「五」を「雪隠(せっちん・トイレの事)」や「火事」とする説もあります。
例:四葬式、五雪隠 や 四葬式、五火事 など
葬式や火事は、縁起が良いとは言い難いですね。
これには、悪い夢を見たら、現実には悪いことが起こらなくなるという逆説の願いが込められていたようです。
初夢では、確かに縁起の良い夢をみたいものですが、6つともあまり夢には出てきてくれそうもない物ばかりですね。
良い初夢を見る方法として、「七福神や宝をのせた船の絵」を枕の下に敷くとよいという迷信もあります。
それでも悪い夢を見てしまった時は、朝起きたらすぐに、宝船の絵を川に流すと縁起が良くなるといわれています。
それにしても、富士山や鷹はいいとして、葬式、火事、トイレ、座頭とは・・・・すべてまとめて出てきたら、一体どんな夢になるのでしょうかね。縁起が良くても想像したくないです。
書き初め(1月2日)
1月2日に、その年最初の書や絵を書くことによって、書や絵の上達を願う行事です。
子供の頃の冬休みの定番の宿題で、地域で書き初め大会が行われることもありました。
書き初めの意味と由来
読み方は「かきぞめ」です。
書き初めとは、年が明けて1月2日に初めて書や絵をかく行事のことをいいます。
その昔、1月2日は一年の「事始め」または「仕事始め」の日で、普段の仕事を形だけ行い、その年の労働の安全や技能の上達を願うならわしがあったそうです。
農村では畑に鍬を入れ農作業を始めたり、漁村では舟の乗り初めを行ったり、商家では、初売りを行い福袋が販売されました。
また、茶道や、踊り、お琴などは1月2日から始めると上達が早いといわれており、この日に書き初めをすることで字や絵の上達を願う意味があります。
もともと書き初めは宮中で行われていたものが広まったといわれています。
「吉書始め(きっしょはじめ)」といわれるもので、若水(元日の早朝に汲んだ水)で墨を摺(す)り、その年の恵方に向かって詩歌を書いたものが、江戸時代に寺子屋(てらこや・読み書きや算数などを学ぶ場所)の普及とともに庶民に広まりました。
書き初めで書いたものは、1月15日に行われるどんど焼き(ほかに、どんどん焼き、どんと焼き、左義長、お焚き上げなどの呼び方があります)で燃やします。このとき、炎が高く上がると字が上達すると言われています。
書き初めは、書や絵の上達を願って行うものだということ。
現在は、筆を使って文字を書く機会が減っていますが、学校の宿題だけではなく、大人になってからも書き初めをすることはできます。学校や地域で書き初め大会が行われていることも多いので、年に一度の行事として大勢の人に混じって書き初めをするのも楽しいかもしれません。
人日の節句(1月7日)
春の七草を使って作ったお粥をいただいて、年末年始の暴飲暴食で疲れた胃腸を労わったり、一年間の無病息災を願う行事です。
人日の節句の意味 七草粥はなぜ食べる理由
日本には、「桃の節句」や「端午の節句」などがありますが、「人日(じんじつ)の節句」というのがあるのをご存知ですか?
「七草粥を食べる日」というと、ああ、なるほど!と思う人もいるかもしれません。
1月7日は、七草粥を食べて、1年間病気をせずに元気で過ごせるようにと願う日であり、「人日の節句」もしくは「七草の節句」と呼ばれています。
今回は、あまり知られていない人日の節句の意味や、七草粥を食べる理由などについてご紹介します。
人日の節句は、その名の通り人の節句
日本には、3月3日(桃の節句)や5月5日(菖蒲の節句:子供の日)、7月7日(笹の節句:七夕)などのように、同じ数字が並ぶ5つの節句があります。
しかし、人日の節句は、その五節句のうちので、唯一数字が同じではない「1月7日」に定められています。
なぜ1月7日なのか?それは、古代の中国で行われていた占いの風習に由来します。
中国では、1月の元日から6日までの各日に、動物をあてはめた占いが行われていました。
それぞれの日にあたっている動物は、その日だけは殺さないようにしたり、人日である7日には、人を大切にしなければならないということから、犯罪者の罪でさえ無効になったと言われています。
日本では、平安時代に「人日の節句」の風習が伝わり、江戸時代には、人日が五節句の一番最初の節句と定められました。
七草粥を食べるのはなぜ?
人日の意味は分かりましたが、ではなぜ、人日に七草粥を食べるのでしょう?
七草粥の風習も、中国から伝わってきたものです。昔から、中国では、1月7日に邪気を払って1年間の無病息災を願うために、7種類の野菜が入った 吸い物などを食べる風習がありました。一方、日本では、年の初めに、若菜を摘んで、新しい生命力をいただく「若菜摘み」という習慣がありました。
そして、平安時代に、中国の吸い物を食べる習慣が日本に伝えられたことと、日本の「若菜摘み」の伝統とが相まって、1月7日に七つの若葉を入れたお粥を食べる「七草粥」になったと言われています。
その後、江戸時代になると、七草粥を食べることが幕府の公式行事となり、庶民の間にも広がるようになりました。
春の七草
七草粥にいれる7種類の野菜は、せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな(カブ)・すずしろ(ダイコン)です。
普段は見かけない野菜も七草に入っているため、覚えづらそうですが、俳句のように、5・7・5・7・7のリズムに合わせて口ずさんでみましょう。意外と分かりやすいですよ。
「セリ・ナズナ 」 「ゴギョウ・ハコベラ 」 「ホトケノザ 」「 スズナ・スズシロ 」「春の七草」
というように、「」のところで言葉を区切って読むと、リズムが良くて記憶に残りやすいのですね。
人日の節句の意味と、1月7日に七草粥を食べるようになった理由をお分かりいただけましたか?七草粥は幕府の公式メニューになったすごい料理なのですね。お正月の暴飲暴食で疲れた胃を労わるためだけの食べ物ではなく、人日の節句のお祝いとしての食べ物だったことも忘れないで下さい。
一年で一番寒い時期に相手の健康を気遣って出す便りのことです。喪中やだし忘れなど、年賀状の返礼として送ることもあります。
お正月飾りを飾っておく期間である松の内が明けてから、立春(2月3日ごろ)までに出しますが、松の内は関東では1月7日、関西では1月15日となっています。
鏡開き(地域によって異なる)
お正月に飾っていた鏡餅をいただく日です。
関東と関西で松の内が異なりますので、鏡開きの日にちも異なるそうです。
松の内が1月7日までの関東では1月11日に、松の内が1月15日までの関西では1月15日または1月20日に鏡開きをすることが多いようです。
お正月によくみかける、二段の丸いお餅の上にみかんを飾ったものを「鏡餅(かがみもち)」といいます。年末に家族やご近所さんと餅つきをして鏡餅を作る方や、お店で売られているものを買ってきて飾る方もいらっしゃるでしょう。
今回は、鏡開きの意味と由来、2020年はいつ鏡開きをするのか、調べていきましょう。
鏡開きの意味は
鏡は昔、青銅製で丸い形をしており、神様が宿ると考えられ、神事に使われていました。
神話の時代、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと・天皇の先祖と考えられている)に三種の神器、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙の剣(くさなぎのつるぎ・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八咫の鏡(やたかのかがみ)を授けました。この三種の神器の八咫の鏡を形どったものが「鏡餅」だと言われています。
また、「鏡」は「鑑みる(かんがみる・良い手本や規範に照らし合わせて考える)」という言葉にあやかり、「かんがみもち」と呼んでいたのが変化して「かがみもち」になったとも言われています。
お正月にやってくる年神様(毎年お正月、各家にやってくる豊作や幸せをもたらす神様)は門松を目印に各家を訪れ、鏡餅に宿ると言われており、松の内(お正月の門松を飾っておく期間)は鏡餅をお供えします。
そして、松の内が過ぎてから鏡餅をお雑煮やお汁粉などにして、無病息災を願って食べる風習が「鏡開き」です。
鏡開きの由来
鏡餅は平安時代(794年~1192年ごろ)には存在し、源氏物語にも登場しますが、お正月に供えられるようになったのは、室町時代(1336年~1573年)以降のことだと言われています。
鏡開きは江戸時代(1603年~1867年)の初期に武家の間で広まっていき、年神様にお供えしたお餅を包丁などの刃物で切るのは切腹を連想するので縁起が悪いとされ、手や木槌などで割ることにしました。
ですが「割る」という表現も縁起が悪いということで、縁起の良い末広がりを意味する「開く」という表現にし「鏡開き」と言われるようになったのだそうです。
2020年は鏡開きはいつ
鏡開きの日は毎年同じですが、地域によって異なります。
松の内を1月7日までとする関東では1月11日に、1月15日までとする関西では1月15日または1月20日に鏡開きをすることが多いようです。
もともと関東では、関西と同様に松の内は1月15日までで、鏡開きは1月20日に行われていました。
しかし、江戸時代の徳川三代将軍家光が慶安4年(1651年)4月20日に亡くなり、徳川幕府のお膝元である関東では月命日の20日を避けて、鏡開きが1月11日になったと言われています。
鏡開きが1月11日になったことで、松の内はまだ年神様がいらっしゃるのに鏡開きを行うのは、年神様に対して大変失礼なのではないか?ということになり、松の内を1月15日から1月7日に変更しました。
こうして、関東では鏡開きが1月11日に変更されましたが、全国的に広まらなかったため、地域によって鏡開きの日が異なるのです。
お餅ではなくお酒の鏡開きもあります
お正月に飾った鏡餅を食べる「鏡開き」とは別に、清酒の入った酒樽を割る「鏡開き」もあります。武士が出陣するときに気持ちを鼓舞しようと、仲間や自分の部下に振る舞い酒として酒樽を割ったことが由来とされますが、正確なことはわかっていません。
現在は、お正月だけではなく、結婚式や祝賀会などおめでたい席で「鏡(樽)を開くことで今後の運を開く」という意味を込めて行われます。
最近は、大きな鏡餅は置き場所に困るとか、食べるときに調理し辛いということで、片手に乗るほど小さな鏡餅や、鏡餅の形をしたプラスチック容器の中に小さなお餅がいくつも入って売られていたりします。
形は変わっても、鏡餅を飾る風習は現在も受け継がれているのですね。
鏡開きは、飾っていた鏡餅を片づけることではなく「食べる」ことが重要ですので、鏡開きではぜひ、お雑煮やお汁粉にして召し上がってみてください。
成人の日(第2月曜日)
成人式とは、大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝い励ます趣旨で1948年(昭和23年)から始まりました。
多くの自治体で成人式が行われ、新成人のお祝いをします。
小正月(1月15日)
小正月は現在は1月15日ですが、旧暦でいう「元日」にあたります。豊作祈願や悪霊祓い、吉凶占いなどが小正月の主な行事で、小豆粥を食べる習慣もあるそうです。
お正月とは言わずと知れた、新しい年をお祝いする一年の最初の行事のことですが、それと似た言葉で「小正月」というものがあります。 その小正月の意味や由来行事や食べ物について調べてみました。
小正月はいつ?由来や意味
小正月の読み方は「こしょうがつ」です。2020年の小正月は1月15日(水)です。しかし、1月15日だけではなく14日の日没から15日の日没までや14日から16日までの3日間と考えることもあります。小正月の語源は旧暦の正月を「大正月」というのに対し、1月15日を「小正月」といったことに由来しています。
旧暦(太陰太陽暦)では、新月の日を毎月1日としており、15日(十五夜)が満月、そして次の新月までを一ヶ月としていました。ですから、小正月の1月15日は満月にあたります。
昔の日本人は満月は特別の力があるめでたいものとして、中国式の暦が導入される前は、一年で初めての満月の日を「元日」にしていたと考えられ、その名残りが「小正月」の起源だと考えられています。
明治5年(1872年)に新暦(太陽暦・グレゴリオ暦)が採用されたことにより、正月(元日から松の内(お正月の松飾りを飾っておく期間)まで)を「大正月(おおしょうがつ)」、1月15日を「小正月」と呼ぶようになりました。但し、新暦では月の運行を考慮していませんので小正月が満月になるとは限りません。
また、小正月は松の内に忙しく働いた女性をねぎらい「女正月(おんなしょうがつ)」とも呼ばれ、女性が実家に帰省してゆっくり過ごすことができるという日でもあるそうです。
その他、「花正月」「小年」「二番正月」「若年」などとも呼ばれています。
小正月の行事
大正月が年神様(毎年お正月に各家にやってくる豊作や幸せをもたらす神様)やご先祖を迎える行事なのに対し、小正月は農業に関する行事が多いのが特徴です。
豊作祈願、吉凶占い、悪霊払いが、小正月に行われる主な行事です。
豊作祈願
「餅花(もちばな)」と言って紅白の餅を柳などの木に飾り付け、実った稲穂に見立てて飾ったり、雪原を田んぼに見立てて田植えの動作をすることで、豊作を祈ります。小正月のことを「花正月」と呼ぶようになった由来とされる行事です。
吉凶占い
お粥を炊いて、その年の農作物の吉凶を占っていました。
神社で行われる神事のひとつで、「筒粥神事(つつがゆしんじ)」や「粥占神事(かゆうらしんじ)」などと呼ばれ、現在も各地の神社で行われていますが、占い方は神社によって違うそうです。
悪霊払い
現在でも日本各地の神社や田んぼで行われているのが「どんど焼き」と呼ばれる火祭りです。「とんどやき」「どんどんやき」「道祖神(どうそじん)祭り」「左義長(さぎちょう)」「お焚き上げ」など、同じ火祭りですが呼び名はさまざまです。
この火祭りでは、大正月に飾っておいた門松やしめ飾り、書き初めや前年のお札などを集めて盛大に燃やします。
その時に出る煙に乗って、大正月にやってきた年神様が天上へ帰っていくと言われており、その火にあたると若返ると考えられていたり、餅や団子をその火で焼いて食べることで五穀豊穣や無病息災を願ったと言われています。
小正月の食べ物
小正月には、「小豆粥(あずきがゆ)」を食べる習慣があります。うるち米に小豆を混ぜて炊いて、お餅を入れて食べます。
小豆の朱色には邪気を祓う力があると言われており、小豆粥を食べることで一年間の無病息災を願ったのです。
また、小豆粥の炊き上がりによってその年の吉凶を占う神事があったことも、小正月に小豆粥を食べるようになった理由のようです。
日本の多くの地域で、小正月の行事は現在も受け継がれています。お正月が終われば、近所の神社や田んぼで盛大に火祭りが行われる地域もあるでしょう。小豆粥を振舞う神社もあるそうです。
お住いの地域ではどのような小正月の行事があるのでしょうか?興味があれば調べてみたら面白いかもしれませんよ。
新しい一年が始まる1月ということで、無病息災や豊作を願ったりする行事が多いような気がしますね。
その年を無事に幸せに過ごせますように・・・という願いは、今も昔も変わらないことなのかもしれませんね。